必要でないひとは一人もいない

 

 2016年7月26日未明、神奈川県相模原市にある障害者支援施設「津久井やまゆり園」において、施設入所利用者19名が殺害され、26名が重軽傷を負うという事件が発生しました。容疑者はあろうことかその施設の元職員(今年2月に退職)であり、動機を「障害者は不幸を作ることしかできないので抹殺します」と衆院議長に宛てた手紙やその後の取り調べでこう言い放っています。

 容疑者のしでかしたことは断じて許されるものではなく、犯行にいたった動機や理由に潜む、人間が築きあげてきた文化へのむき出しの攻撃(障害者は役に立たず、周りを不幸にする)は、否定され憎むべきものです。また、この攻撃に追随するかのような、SNS等による犯行への溢れんばかりの同調が耳目に触れるにつけ、日本が危険な国になりつつあることに総毛立ちます。

 はたして「障害」者は、不幸を作り出す存在なのでしょうか。私たちは知っています。私たちが日々関わっている「障害」者といわれている人たちが、いかにひとの心をつかみ、街のバリアを取り除き、ひととひととのつながりを深める重要な役割を担っているかということを。本来ひとは、お互い助け合い、協力し合い、認め合いながら社会生活を営んでいます。道具の進歩(特にコンピューター)が、社会からそのような関係を奪ってしまったのでしょうか。何でも一人でできるかのごとく勘違いさせ、自分のことを伝えるコトバと、相手を理解しようとする思いやりを奪いました。その結果、自分とは異なる考えや気持ちを理解できず、排除の対象として攻撃するようになってしまったかのようです。

 言葉を話せない。立って歩けない。耳が聞こえない。目が見えない。人工呼吸器をつけている。計算ができない。字が読めない。字が書けない。このようなひとたちが、狆祿下〞だと呼ばれています。でも彼ら彼女らができないことは、たったそれだけなのです。

 「障害」ある彼ら彼女らは、人の話に耳を傾けることができます。人の痛みに敏感で、人のために涙を流せます。動けない彼ら彼女らは、まわりの人に助けを求めることで、人と人とが協力し合わなければうまくいかないことをまわりに分からせ、協力し合って達成する喜びを私たちに与えてくれます。彼ら彼女らの笑顔やしぐさで、どれだけのひとたちの気持ちが救われたことか。私たちは知っています。彼ら彼女らのことを分かろうとすることで、どれほど相手を思いやる力や想像力が豊かになったかということを。「障害」ある彼ら彼女らは、私たちが失った大切なものを、取り戻させてくれているのです。

 「障害」あるひとたちが、家族にとって、私たち職員にとって、社会にとって、そして日本という国にとってどれほど必要であるか、どれほど大切な存在であるか。ひとには社会の構成員としての役割があるように、「障害」あるひと一人ひとりにも重要な役割があり、まわりを幸せにするチカラがあることを、私たちは知っています。

 この事件の容疑者と彼に同調するひとたちは、あなたたちのコトバと行為によって、自らを貶(おとし)め、あなたたち自身が不幸を作り出していることを、今こそ思い知るべきです。

 

社会福祉法人 弘徳学園


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